新天地での生活と仕事

10-1 弁天町での生活
私は、大阪環状線の弁天町に住むことになった。
弁天町は、職場の本町まで
地下鉄で1本、約20分の距離。
東京の東西線と比べると、
人の多さは圧倒的に少なく、通勤はとても楽だった。
当時の私は体重105キロ。
完全にデブだった。
痩せようと思い、休みの日は
大阪や京都などの観光スポットを歩き回った。
また、大阪で部屋を借りようとしていた
東京時代に一緒に働いていた先輩から、
「保証人がいないので、同居できないか」
と頼まれ、了承。
共同生活をすることになった。
弁天町は本当に住みやすかった。
- KONAMIスポーツがあり、ボディコンバットを継続
- スーパー、ショッピングセンターも充実
- ゴルフ練習場もある
- 美味しい定食屋がある
- バスでなんば駅まで行ける
さらに、
更新料なしの2DK。
申し分のない環境だった。
10-2 仕事について
仕事には、
2つのミッションがあった。
① 常駐先のミッション
BCP
(Business Continuity Plan/事業継続計画)
花王・東京事業所の基幹系機能を、
大阪事業所でも動かせるようにするプロジェクトだった。
東日本大震災の経験から、
立ち上がったプロジェクトだと聞いた。
私は下っ端だったため、
担当はシンプル。
- 基幹系のオペレーション
- QA対応
これを定時内に確実にこなすことがミッション。
当番になると、
休日出勤や夜間対応もあった。
夜間トラブルで眠れなくなるメンバーもいて、
なかなか大変な現場だった。
また、常駐先では
前職・東京の会社の社員として振る舞うことが
徹底されていた。
本当の所属会社がバレないよう、
細心の注意を払って働かなければならなかった。
――私は、ここでつまずくことになるのだが。
周囲のメンバーは、
単身赴任で大阪に「骨を埋める」覚悟のある人はいなかった。
期間が来れば東京へ帰る。
そんな働き方だった。
会社から住宅補助も出るらしく、
正直、羨ましかった。
定時後は、
ところ構わず飲み歩くメンバーも多かった。
「なぜ、こんなに金が続くんだろう」
と不思議に思ったほどだ。
私も、たまに付き合った。
天満の夜は、今でも忘れられない。
② 自社開発のミッション
もう一つは、
100円ショップ向けの販売管理ソフトの開発。
私は主に、
- 請求書などの帳票作成
- Accessを使ったデータ処理
を担当した。
日中は常駐先で仕事。
終わると自社に戻り、開発作業。
そんな毎日だった。
そして、
最大の気晴らしは――
社長とのゴルフ。
本当に、楽しかった。

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