第4章|鹿児島編 第1期 家庭崩壊

4-1 親父が起業していたことを知る

私は鹿児島へ帰ってきた。
いつも通り朝ごはんを食べる。

しかし、その日、親父は仕事に行く様子がなかった。

「どうしたの?」

そう聞くと、さらっとこう言った。

「会社を早期退職して、伊集院駅前でパソコン教室を始めた」

……相談は一切なかった。
いきなりのディープインパクトである。

確かに駅前には「パソコン教室」の看板が出ていた。
WordやExcelを教える、ごく普通の教室だ。

話を聞いて、すぐに理解した。
要するに、手伝えということだった。

失業中だった私は、親父と一緒に団地を回り、
ひたすらチラシをポスティングした。

時には生徒さんにパソコンを教えることもあった。
80歳を超えるおじいちゃんに教えたこともある。

暇つぶしにはなった。
だが、経営にはまったく興味が湧かなかった。

どこかでずっと、
「自分は経営者ではなく、技術者だ」
そう思っていたのかもしれない。


4-2 人生最大の親子喧嘩、そして家族解散

それから1ヶ月ほど経った頃だろうか。

私は、東京時代に話をしていた
鹿児島市内のシステム会社の面接を受けた。

結果はほぼ内定。
10月1日から出社が決まった。

私が就職を決めた理由は、はっきりしている。

親父に、母と私で何度も経営改善を提案したが、
一切、聞く耳を持たなかったからだ。

正直、うんざりしていた。

ある日、母が泣きながら会社の通帳を見せてきた。
そこには、信じられないスピードで減っていく残高。

「お金って、こんなに簡単に減るんだ」

そう痛感した。

ロータリークラブという経営者の集まりで、
銀行に勧められるがまま多額の融資を受け、
気づけば金利を払うのが精一杯。

支払日には、
母が「お客さんが来ますように」と神様に祈っていた。

税理士にも見放されたらしい。
私の退職金も、ほぼ使われていた。
さらにカードローンまで手を出していた。

親父は、
経営に私情を持ち込む、典型的な失敗例だった。

好きなフォークソングを店内に流し、
意味不明な人形を飾る。
顧客ファーストの視点は皆無。

技術力も、コスト管理もなかった。

そこに、親父にたかる厄介な親友たち。
資金は、音を立てて吸い尽くされていった。

仕事の後は、毎晩のように飲み歩き、
帰宅すると、妹や母に当たり散らす。

私はついに悟った。

親父は「社長ごっこ」がしたかっただけだ。

その瞬間、
私の怒りは沸点を超えた。

人生最大の大喧嘩。
取っ組み合いになり、警察まで来た。

その日は、皮肉にも私の誕生日。
翌日から、鹿児島市のシステム会社へ初出勤だった。

翌朝、家を出るとき、
母は静かにこう言った。

「もうこの家には戻らない。
あんたも妹と一緒に、祖母の家へ行きなさい」

こうして、
私たち家族は、この日をもって解散した。

私は、
泣きながら初出勤した。

今振り返ると、あの頃の私は、少し若くやんちゃで、気づかないまま苦難の道に踏み込んでいた。


第5章|鹿児島編 第2期 新生活開始に続く

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