自己破産への道

6-1 親父との面会
休日、私は山形屋近くにある弁護士事務所へ向かった。
最初に現れたのは、親父の弁護士だった。
弁護士は淡々と告げた。
「あなたのお父様は、自己破産しました。
残りの返済は、あなたが払ってください。
払い方については、私がお手伝いします」
ただし――
手数料は、法外だった。
しばらくして、親父が姿を現した。
親父は、開口一番こう言った。
「俺らを裏切った見返りだ」
怒りを必死で抑えながら、私は伝えた。
返済については、まず家を処分してから考えてほしい、と。
伊集院の家はすでに銀行の抵当に入っており、
近いうちに親父と祖母は立ち退かねばならない状況だった。
私は、それでいいと答えた。
結局、伊集院の家は謎の業者に安く買い叩かれ、
リフォームされた後、別の人の手に渡った。
親父と祖母は、妙円寺団地の市営住宅で、
生活保護を受けながら暮らすことになった。
母は、母方の親族に諭され、離婚を決意した。
離婚を迫ったが、親父は
「子どもたちに傷がつく」という謎の理由で拒否し、
現在も合意には至っていない。
私は弁護士事務所を後にし、母にすべてを報告した。
その後、私と母は、当時行政書士だった西さんをはじめ、
鹿児島市内の弁護士に片っ端から相談して回った。
6-2 長い戦いの開始
私と母は、とにかく話を聞ける人すべてに相談した。
東市来の養母のもとにいる心の師。
鹿児島市の債務整理相談。
行政書士だった西さん。
――聞ける限り、聞き尽くした。
そして、たどり着いた結論は一つだった。
私と母も、自己破産するしかない。
泣く泣く、その決断を下した。
私は冷静に『ミナミの帝王』やネットを見て、
自己破産について徹底的に調べた。
休みをもらって役所に行き、
膨大な資料を受け取り、
それらをすべて自力で用意した。
弁護士も破格の安値で引き受けてもらえたが、
手続きには半年以上かかった。
本当に大変だった。
その間、銀行からの催促の電話は、
嫌なタイミングを狙ったかのように鳴り続けた。
債務整理中であることを伝え、
必死に時間を稼いだ。
正直、電話が嫌いになったのは、
この経験がきっかけだと思う。
裁判所で免責が決定するまで、長い時間がかかった。
免責が下りた瞬間、
借金から解放された安堵感と同時に、
「お金の問題は、結局なんとかなる。
死ぬほどのことじゃない」
そう開き直れた自分がいた。
免責が決まったとはいえ、
自分自身の借金だけは払おうと決めていた。
大学時代の奨学金だけは、
律儀に払い続けた。
これは、私なりの意地だった。
ただ――
10年間は、何もできない。
婚活なんて、また夢のまた夢だ。
それでも、
心機一転。
二度と同じ失敗をしないために、
じっくり力を蓄えよう。
そう決意し、
私は再起への一歩を踏み出した。

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