2-1|大学入学
高校時代3年間、かろうじて成績はトップクラスだった。
しかし高校2年の頃、
ユニコーンに出会い、バスケ部を退部。
ロックに目覚め、ドラムを習い始める。
当然、成績は急降下。
夜は勉強もせずオールナイトニッポン。
日曜はヘビーメタルシンジケート。
ロック漬けの日々だった。
センター試験は、絶望的。
「大学なんて行けるのか?」
本気でそう思っていた。
両親も不安だったかもしれない。
中学時代、生徒会副会長だった頃とは、別人だったからだ。
そもそもの原因は高校受験にあった。
本当は鹿児島市内の甲南高校に行きたかったが、
市外受験は定員5%という謎ルール。
進路の先生に
「3番手の高校を受けろ」と言われ、断念。
初めての挫折。
そこから、少しグレたのかもしれない。
しかし、ここで運命が動く。
なんと私に、大学の推薦があるという。
大学名は東京理科大学。
しかも面接のみ。
名前だけで
「なんかイケてる」
と直感し、即決した。
ただし、その前に
山口という文字がついていた。
場所は宇部と小野田。
セメントで有名な地域だ。
若い人向けに言うと、
『エヴァンゲリオン劇場版』のラストに出てくる、
あの謎の駅のあたり。
庵野秀明の地元が、庭だった。
2-2|学業開始
周囲は田んぼだらけ。
その中に、真新しいキャンパスがあった。
直感は大当たりだった。
正直、今でも誇りに思っている。
理由は単純だ。
教授陣は東京理科大学そのもの。
さらに、4年制大学化したばかりで
当時としては最先端のIT環境が整っていた。
入学時に買わされたのは
IBMのThinkPad。
OSはWindows98。
Word、Excel、PowerPoint完備。
モデムで公衆回線につなぎ、
インターネットで調べ、レポートを書く。
今では当たり前だが、
当時はガチで学ぶ内容だった。
学校の端末はUNIX。
コマンドライン入力。
エディタはmule。
C言語とHTMLを少し。
ブラウザはIEとNetscape。
UNIX全盛期の時代だった。
2-3|遊び
プライベートでは、
社会人の遊びとコミュニケーションの基礎を学んだ。
集まったのは、
東京を中心とした地方のボンボン達。
山口という田舎だが、
福岡と広島の中間。
東京への直行便もある。
遊ぶには、悪くなかった。
勉強は3分の1。
残りはバンド、遊び、少しのバイト。
酒、合コン、パチンコ、ゲーム。
ボーリングからのカラオケオール。
日曜は小倉で競馬。
麻雀でタバコを覚え、
ジョホールバルの岡野のゴールで発狂。
彼女もでき、
今でいうカップルYouTuber的生活。
NHKの
『ビバリーヒルズ青春白書』そのものだった。
2-4|ロサンゼルス旅
沖縄の友人の縁で、
ロサンゼルスに1ヶ月住む。
メルローズのホットドッグ屋
okidog。
今も実在している。
タコ部屋に3人で住み、
地球の歩き方片手に観光。
人種と多様性を、体で学んだ。
日本への電話は夜の公衆電話。
通り一本で危険度が違う街。
隣人はドラァグクイーン風のゲイ。
アメリカ人は、日本人をカモだと思っている。
それも悟った。
それでも、
アカデミー賞に突撃し、
NBAレイカーズのリック・フォックスに遭遇。
サインと写真をもらった。

この日から、
NBAはレイカーズ推し。
別れ際にもらった
バッファローコインの価値は、今も謎だ。
2-5|バンド活動
宮崎出身のギターと出会い、軽音楽部へ。
今で言う
『ぼっち・ざ・ろっく』そのもの。

オリジナル曲でライブ。
CD自作、販促、チケットノルマ。
ラジオ出演も経験。
キーボードは今も現役プロ作曲家。
解散を機に、ドラマー生活は終焉。
ツーバスは苦手。
腰も痛めた。
それでも今も、
ジム帰りに電子ドラムで8ビートを叩く。
一人で。
それだけだ。
2-6|就職活動
大学時代は、人生の財産だ。
仲間は今も大親友。
みんな私より成功している。
それが、今の原動力。
卒論は公開鍵暗号。
中身は正直、よく分からなかった。
研究室では
エイジオブエンパイアにハマり、卒業。
そして、地獄の就活。
バブル崩壊後。
日本は超就職氷河期。
説明会は高倍率。
絶望感しかなかった。
そんな中、
また教授との縁だけで、東京へ行く。
ここで学んだ技術が、
後にどれだけ重要だったか。
それを知るのは、
もう少し先の話だ。
第3章|東京時代編に続く

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