
14-1 システム開発会社編③
――よかった面も、確かにあった
この会社にも、
良かった面はあった。
社長と、
趣味が一緒だったのだ。
特にゴルフ。
私はいつの間にか、
ゴルフ会の幹事を任されていた。
鹿児島といえば、やっぱりゴルフ。
ラウンドの後は、
天文館のいろいろな店を教えてもらった。
また、
私が麻雀好きだったこともあり、
青果会社の社長さんと仲良くなり、
一緒に麻雀を打ったのもいい思い出だ。
社員旅行では、
タイに行ってゴルフもした。
今の世代から見れば、
「やりがい搾取」と言われるかもしれない。
だが、
昭和的な価値観の影響を強く受けていた私は、
正直、結構楽しめていた。
社内では、
麻雀仲間もできた。
今でも付き合いが続く、
一生仲良くできる友人だ。
この出会いには、
今でも感謝している。
14-2 システム開発会社編④
――開発者としての土台
3年目。
2人1組で、
浄化槽のシステムを任された。
他のプロジェクトは、
いわゆるデスマーチ状態。
だが私は、
この案件をなんとかやり切った。
納期遅れなし。
致命的なバグもなし。
この経験が、
今の私の開発スタイルの
根底になっている。
「逃げずに、最後まで仕上げる」
それを、
身体で覚えた仕事だった。
14-3 システム開発会社編⑤
――限界の兆し
浄化槽システムをやり切った後だったと思う。
毎日、
深夜までの作業。
休日は、
ゴルフか麻雀。
定時後は、
飲み会。
それなのに、
給料はまったく上がらない。
私は、
確実に疲れていた。
社員の入れ替わりも激しかった。
1日で辞めた人もいる。
そのしわ寄せは、
ほぼ私に集中していた。
自分の時間が、
まったくない。
ふと、
「なんか疲れたな」
と思った。
ある休日出勤の日。
上司の席に、
ふと目をやると――
労基署への申請書。
「ブラック企業から脱するためには」という本が数冊。
さらに、
ナンバー3の給料を聞き、
その低さに愕然とした。
社内では、
誰それの給料がいくらだ、
という噂が飛び交い、
現場メンバーの
モチベーションは、
完全にダダ下がりだった。
そして、
ある日。
私の中の電源が、
プツンと切れた。
うつ病発症。
3か月、休職した。
だが、
戻れる状態ではなかった。
上司からは、
「もう行くところは、
どこにもないよ」
そんな脅しのような言葉も浴びせられた。
それでも――
私は、去る決断をした。

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