第3章|東京時代編

3-1 東京行き決定

超氷河期、就職活動は困難を極める。半ば疲弊しかけた頃、いきなり教授に呼び出される。どうやら東京のとあるシステム会社の面接を受けないかという話だった。先輩も何人かいるらしい。聞いて直感で東京に住めるということは、大学仲間とまだ交流できるし大都会に興味があったのでありだと思いチャンスだと確信し受け入れた。

そして伝説の面接が始まる。時は1999年9月の台風シーズン。山口に台風が直撃。交通が麻痺した日が面接だった。本当に来るのかと半信半疑で友達から車を借り、山口の老舗の料理屋で待った。そして待つこと30分。ついにやってきたのだ。しかも社長自らいらっしゃった。50代前半ぐらいだが既に一般人とは違うオーラを放っていた。しかも社長は、生粋の長州人だった。実の弟さんを連れてやってきた。

少し雑談し社長が弟さんに一言。
「どうかなこの新人?」
弟さんは「いい子だよ。大切に育ててやりなよ。」と答えた。

最初で最後の弟さんとの面会だったが感謝している。社長はそれを聞くなり、
「よし!薩長同盟成立だな!」
と一言いい残して面接終了し去っていった。

山口は田舎ながら安倍首相など総理大臣を日本一輩出し、経営者もユニクロの柳井氏を生み出す。トップは世界まで動かすカリスマが多い。社長もそんな一人だった。孫正義タイプで情熱とバイタリティの塊。今まで経営者でこの社長以上の人に会ったことがない。それは今でも揺るがない事実だ。


3-2 配属ガチャを経験する

2000年4月1日、いよいよ東京の社会人生活がスタートする。
住まいは千葉・原木中山。会社の寮で山形出身のゲーマーと2人暮らし。

本社は千代田区九段下。千代田区本社というだけで企業の信用度が跳ね上がる。通勤は東西線。超満員で降りられないのが初のカルチャーショックだった。

研修2日目、1人が社長の逆鱗に触れ即クビ。全員に緊張が走る。
研修後の新人歓迎会は実質ドラフト会議。
「薩摩隼人です!よろしくお願いします!」
と酔って挨拶した私を、端で黙って見ていた人物。
この人が、後の人生を変えるメンターだった。


3-3 着任

翌日、案内されたのは亀戸。
橋を渡ると「花王すみだ事業場」。

「え、あの花王?」
そう、日本を代表する企業の中枢だった。

花王100%子会社に常駐。情報システムの最前線。
ワクワクが止まらなかった。


3-4 業務ミッション開始

ミッションは2つ。

  1. 約3000社とのEDI通信運用
  2. データフォーマット変換

UNIX、C言語、VB、viエディタ、EBCDIC文字コード。
朝7時監視、10分放置で始末書。
物流が止まれば数億が吹き飛ぶ。

月曜と木曜の朝は地獄。
FX25倍レバで張り付く感覚に近い。


3-5 スーパーサラリーマン達との出会い

花王の精鋭達。
仕事・酒・ギャンブル・遊び、すべて一流。

彼らに可愛がられ、鍛えられた。
5年が過ぎ、気づけば私が現場の古株になっていた。


3-6 二大ビッグプロジェクト①(全社マイグレーション)

全システムをブラウザ化。
部下7人+派遣2人を率い、ほぼ不眠不休。

トラブル報告書、徹夜、過労死。
それでも乗り切った。

得たのは
危機察知能力と動じない心


3-7 二大ビッグプロジェクト②(カネボウ統合)

カネボウ買収。
300社分のEDI統合を一任される。

完遂。
最後の会議で名指しで総括を任される。

ご褒美の差し飲み。
兄弟杯のような夜。


3-8 東京生活最高のひととき

中国・北京・上海・香港。
修羅場と酒と友情。

香港の夜景を見ながら飲んだ一杯は、
人生最高の瞬間だった。


3-9 東京生活終了

社内激変。
収入減。

親父が来る。
「鹿児島帰って来い」

実印を突いた。
最大の過ち。

止められても、鹿児島へ帰る決断。
羽田からの最終便。

達成感と希望を胸に——
地獄の始まりを知らずに。


第4章|鹿児島編 第1期 家庭崩壊に続く

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