
13-1 ハローワーク就職訓練
鹿児島に帰ってきて、
まず最初にやったこと。
――また、ハローワークに行った。
300日の失業給付を申請し、
再び失業期間に入る。
最初の100日は、
相変わらず抜け殻だった。
ただ、病気と環境の変化もあり、
大阪にいた頃よりは、
少しだけ落ち着いていた。
ちょうどその頃、
私のメンターが、
部長を務めていた会社を辞めていた。
ある日、
メンターから電話が来た。
「今、就職訓練でCADやってるよ」
それをきっかけに、
ハローワークで就職訓練を調べ始めた。
そこで目に留まったのが、
Webデザインコースだった。
「自分のホームページを作りたい」
その気持ちだけで、
受講を決めた。
半年間、みっちり勉強し、
Webデザイナー3級の資格を取得。
久しぶりに、
「前に進んでいる感覚」があった。
13-2 システム開発会社編①
正直に言うと、
Webデザインで飯を食べたいと思っていた。
ある日、
妹と一緒に求人を見ていた時のこと。
「ここ、どうかな?」
そう言われ、
鹿児島の独立系システム開発会社の
面接を受けることにした。
結果、採用。
ここまでは良かった。
だが、
希望していたWebデザインではなく、
Windows系業務アプリケーションの開発要員
として配属された。
理由は単純。
SQLの知識があったからだ。
こうして私は、
プログラマとして再スタートを切る。
Visual Studioを使い、
VBとSQLを書きまくる日々。
リーマンショックの影響もあり、
待遇はかなり低かった。
退職金もない。
だが、
選択肢はなかった。
「とにかく、1年はやり切る」
その一心で、
がむしゃらに働いた。
13-3 システム開発会社編②
時代は、
安倍第2次政権。
国会で、
消費税増税とインボイス制度が決まり、
軽減税率の導入も決定。
その瞬間、
仕事が忙殺される未来が、
はっきりと見えた。
一番の取引先は、
青果卸売業。
商品マスタの金額変更。
請求書の計算ロジック修正。
帳票の全面改修。
販売管理システムを、
根こそぎ見直す必要が出てきた。
さらに追い打ちをかけるように、
基幹システムをAWSへ移行。
DBMSは、
SQL Server → MySQL。
当然、
SQLの方言が違う。
細かい差異に、
何度も足を取られた。
こうして私は、
完全に忙殺モードに突入する。

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